とんだニュース



明日は・・ おトン(父)の誕生日なのだが、、
今日は・・ おトン(父)のことで、、頭が痛くなる連絡がママごんからあった。


なんでも、また煙草を隠し持っていたらしい。冬物の整理をしようとしてポッケに入っていたのを
ママが見つけてしまったのだ。

昨年末も、そのことで、オイラはパパに、 頼むから煙草はやめてくれるように
説得した。

うちのおトンは、2年前の夏に心筋梗塞の手術を受け、それから三カ月おきに
入院と手術を 繰り返している。 

その上、おトンには 糖尿もあるため、心臓とは別に 糖尿の病院にも毎月通院している。

もちろん食事制限もあり、塩分は一日11㎎。。。

ママは、厳密にそれを守って、父が そうなってから、自分も甘いものも食べないで
一緒に、闘病しているのだ。

そのママを・・父は何度も裏切り、 間食はする、煙草も・・というので

昨年の夏は 離婚の危機にまで陥ったのだ。

なので、暮れに煙草が発覚したときは、 ママから言うと もう最後だから
オイラに おトンにやめてもらうように 説得するように お願いされたの。

泣いて懇願しただよ。
間食については、、、父も、自分の体を考えて、無謀な食べ方はしないと信じてるから
目をつぶる。 でも、煙草だけは、何度も手術して、
先生も 本当に親身になって観てくれているのに

自分で自分の命を縮めるようなことはしないで・・と。

父は、煙草は 肺に悪いだけで 心臓に悪いとは思ってなかった。と言ってるから

信じられない話なんだけど。煙草一本すうだけで、血管が細くなってしまうという事実を
知らないでいたのだ。。。

懇々と説明して、 父の心筋梗塞は 心臓に3つ流れる冠動脈の一本が99%閉塞
していたのを、、それも、もう少しで、病院から返されそうになったところを
 その上の先生が 休み中というのに飛んできてくれて、
検査。即 手術。。。。奇跡的に一命を取り留めているのに

本人に自覚はない。


それよりも何年も前には、山中で、大事故に遭い、父は助手席に座っていたのだが、
カーブの多い上り坂で、ダンプカーと衝突し、3人がお亡くなりになり、1人が重体、
1人が軽傷・・・・。 唯一、無事で 生き残ったのが父だった。

それも、本人は驚いてなくて、
そのほかにも
これまでにも、実は、何度も、危ういところを 父は救われてきているのだ。


 そんな父なので、あんまり自覚はないのか、

 ママは、先日、間食が発覚したときに
 「あなたは 生きたいの それとも 死にたいの? 本当の気持ちは どうなの?
 教えて」 と父に聞いたら

 返事はなかった・・・と言っている

 きっと、どちらも 思っているのだろうと思う。

 ママは、かなり真面目な人なので、、病院での食事療法の話も真面目に聴きに行って
 説明を受け、 もともと、 栄養士の資格のある人なので
 自分でも本を買いあさって いろいろ 研究しては、
 父のお世話をずっと 観続けている。。。。。。

 胸が痛い。。。。

 父が、一日に1箱も煙草を吸っているようなら、オイラも 怒りたいけど
 おそらく、ママの目を盗んで、 ちょっと吸ったり 吸わなかったりな程度ではないかと思うから。

 こんなに 何度も、その件について、話し合っても やめてくれないのに

 ここで、また怒るべきなのか、、もう許してあげたい気持ちもあって

 ママの電話は途中で切ってしまったのだ。

 オイラから伝えるよりも、今回は ママから伝えるべきだと・・・思ったから。

 もう一人の家族は、 父が後、どれだけ生きられるか、しれてること
 それなら 本人の好きなようにさせてあげればいい。と言っている。

 オイラも 半分はそう思っている。
 
 命は限りがあるし、気をつけていたって、何があるかわからない。

父は、最初の緊急手術のときに、、先生からも オイラは そう言われているのだもの。

 これから三か月置きに 検査、そして手術を繰り返すこと。 それでも合併症とか
急変の可能性もあり、 保障はないということ。
 半年、一年を目安で、個人差はあるものの、、、 これからの2年が正念場であること

 そして、もしも 落ち着いていけば、そのまま安定すれば、しばらくは大丈夫かもしれないけれど
 それすらも 希望であって、現実はわからないってこと。

 この夏で、2年目だ。 父が今まで、何度も手術をしながらでも 
無事で生きていてくれることに とても感謝している。

 未来の保障はなくても、今生で少しでも 楽しく生きてくれたらいいと

それだけを願っている。
 
 ママの気持ちもわからないでもない。 こんなに一生懸命やってるのに
 父が全部 無駄にしてしまう。。。。 確かにそうだ

 でも ママが あそこまで 真剣に取り組んでいたから 1月の検査のときは
糖尿も問題がないレベルになっている。 と先生から言ってもらえたのだ。

 もしも、ママが 放ったらかしていたなら、手抜きしていたなら、
 もっと深刻だったと思う。

 父は、67だ。 子供じゃない。 自分でわかっているはずだし。
 そこまで、窮屈にして、今度は、そのストレスで、 ボケてしまったら、
それだって こわいし。 ストレスがたまったら 生きていたくないと思ってしまうかもしれない。


  過去に 祖父が 入院中。この祖父は、脳梗塞と 心臓をやったので
父以上に、食事制限は厳しかったと思うけどその入院中に

 あんぱんを 買ってくるように言われたことがある。
 とても 裕福な 祖父だったのだけど、 叔母のお世話になり、
 その間も 叔母が外出中に、、、そういうものを買ってきては 食べていたことを
 部屋に設置されていた 監視カメラで、発覚し。。厳しい管理化に
おかれることになってたから

 祖父は 大の甘いもの好きだったから、飢えていたのだと思う。
病院の食事は味がしない食べ物じゃない!!! と怒っていた。

 でも・・  「いいから、買ってこい!」 と 怒鳴られたけど
 オイラは 買いに行けなかった

 「お前は 鬼だ!!!!!!」  と叫ばれたけど

 買いに行けなかった。

 辛かった

 そのくらい・・と思う気持ちと 84の高齢で、 体はボロボロで、いっぱい管につながれていて
そこで、そんなに高カロリーなものを 食べさせて

 もしも万が一 何かがあったら、

 私には 責任は取れない。。。。。

 いたたまれない思いと 涙が出るのをこらえながら、、、病院を後にした

 その後 一度は 退院した祖父は、すぐにまた、病院に運ばれて
 それからは、もうしゃべることもなく、管につながれたまま数週間過ごして

 逝ってしまった。。。。。。


 私は、いまだに あの祖父の 一言が忘れられない

 食べさせてあげれば 良かったのではないか・・と

 今も 思うことがある

 できなかったけど、でも、 祖父は 大好きな甘いものを食べられないまま
 死んでしまったのだ・・と思うと

 今も苦しくて仕方がない

 自分は、やはり鬼だったのか。。と 


でも それがあるからこそ

 自分の 父に、、、、、もはや 厳しい態度を オイラはとれないのだ。

 だって、 祖父が言っていた

 食べたいものも食べられず 味気ない食事で何が楽しい?
 それなら おっ死んでしまったほうがマシだ! ・・・と

 
  少しでも 長く生きてほしいと思う心は 家族なら誰しも持ってると思う

  でも、自由を奪われて、楽しみもないところで、生き延びて
 果たして幸せといえるのだろうか。。。

   自分ならば、きっと、

  もう放っておいてくれ。自分の命なんだから!!!!

  と  言い放ってしまうだろう。

  そんな自分が。。。

  自分に甘い自分が

  父に厳しいことなんて言えないよ。


  今日は、ずいぶんと 落ち込んだけど

  この問題は、また 家族問題で話し合うことになると思うから


  もう悩むのはやめよう・・・・


  そして 思う。 うちの問題なんて、まだ可愛いもので
  病気の家族を持つ 家庭には、本当に様々な 悩みがあり、、そして
 それを家族で共有しているのだと・・・・・・


  正しい答えなんてなくて

  その場でできることをすることしかできない

 しかし、それすらも、、、、本当に最善であったかなどということは

 わからないのだ。。。。

  闘病は 本人にとっても、また家族にとっても試練ではあるけど

 いつかは それも思い出になる

 今・・・・・・悩めるということは

 それも 幸せなことだと思っている。


 すべてが大切な経験であり、、、思い出なんだ


 




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