休肝予定が・・・・・・


今日は

休肝日にしよう~!

そう思って

夕方飲みのお誘いとかもあったのだけど

スルーして

おとな~~~しく

お野菜たっぷりの手料理を食べたのだけど・・・・・

夜も夜・・・

11時半過ぎに

食べ友のお誘いに乗って

飲みに行ってしまいまちた





野菜サラダ

黒生で乾杯!



前菜の盛り合わせ☆


和牛の串焼き!

美味しかったにゃ☆


串焼きのハンバーグ!



お酒がすすむ!


マッシュルームとアスパラの野菜焼き!

マッシュルームにガーリックの香りがきいていて美味しかった~



締めは 和牛のづけ丼


オイラ普段は生肉は食べないのだけど

まるで マグロのようで

美味しかったポン!

これはまた食べたい!!!!





そんなこんなで 鼻歌歌いながら帰宅☆



結局今宵も

飲んでしまった(笑)







PS: 食の好みも変化するよね

昔は生肉は絶対に食べなかった・・・・

食べれなかったと言ったほうが正しいが

気持ち悪くてダメだったのだ

焼き肉は大好きだけどステーキは嫌いで

ミンチだったらいくらでも大丈夫

だから心底肉が好きってわけじゃないとは思うけど

10代後半~20代にベジタリアンだったこともあったけど

原因不明の痛みで緊急入院させられたときに

お知り合いの中国医の方から

お肉を食べないのはいけないと アドバイスされてから

スープとか ミンチとか 少しづつお肉を食べるようになり

20代の後半には 一人焼き肉に行くまでに成長し
(成長とは言わないか・・)

今に至る

生でも食べるよ!

好んでは頼まないけど 機会があれば食するようになったのら


都会で生きるのにベジタリアンでは無理な気がする

良質なタンパク質はしっかり摂ったほうがいいもの


頭で考えるばかりだった若いころは

体力も、そしてママの手料理でしっかり育ってきた栄養貯金があるから


無謀な偏食ができたのだろうけど


結局のところ

いろいろ食べたほうが

元気な気がする


家族や友達からも・・・・

動物に例えるなら 大型ネコ科 って言われてるのに

草食系ってことはないよな

自分に合った食が一番なり




今はさっき いただきもののパウンドケーキと珈琲を飲んだとこ

オイラは深夜でも平気で珈琲も緑茶も飲むし

だからといって不眠にもなったことない

そういうの飲むと眠れないっていう人もいるみたいだけど

そう思うからますます眠れなくなるんじゃないか?とさえ思う


駄目だしすればそういう反応が起こるものでしょ

苦手だから嫌な気持ちになる

嫌なものや苦手なことなんて先入観の賜物で

そういうので不自由になってくことのほうが

人生の幸せ半減しちゃうんじゃ????って思うけど

そう思うのも

いろんな痛い経験してきたからで

だから年を重ねるほどに生きるのが楽になっていくのが

健全な生き方なんじゃないかと思うのだ



いつも幸せそうって言われることが多いけど

それは単純に

オイラが悩まないからだ

そりゃ嫌なこともあったりするけど


自分に関することでは悩んだりしない

悩んだところで 誰も幸せにならないことに

エネルギー使うのは無駄だと思うし

幸せな気持ちは自分自身から生まれるものなのだから

いつでも幸せ感じて生きるのが常態で

それが自然だと思う


そう思ってると 不自然な状態(凹んだり、苦悩すること)から

いち早く抜け出せる


人生で最も手に入れたいことは

「心の平穏」だとずっと願ってた
だから今がある

思い起こせば 小学生のころから思春期くらいまで

いつも不安があったんだよね
(ママは優しいけど超ヒステリックだったから・・・昔は怒声が絶えなかった)

今だって 基本は何も変わっちゃいないのだろうけど

環境によって心が変化したんだろうな


どんなときでも

心が幸せでいることが

一番大事


そしてそんな心の幸せを

守ってくれているのは

自分の愛する者たちなんだな・・・・・って

心から感じる



人生で

本当に心を通わせることができる人は数えるほどしかいない

その恵みは何ものにも代えがたい


心を通わせる人に出会えたなら

どんなことにも立ち向かえる勇気が湧いてくる

(絶対的な安心感と存在理由を得られるのだから・・・・)


心が通い合ってる関係は

相手に絶対的な信頼を置いているか

あるいは自分が相手のためならなんでもできるって思えるくらい
愛しているってことが必須


肉体を重ねたからって心が通うものでもないし(笑)




一時の思いこみでないならば

心が通い合う関係も

幾多の出来事や共有体験

いろんなことをくぐりぬけて

時とともに育まれていくものだと思う



ある一時 条件やご都合主義からの関係性は

使い捨てのアイテムのようなもので

一生ものではないから

                       すぐに消滅するものだ




それに

心を預けてしまえる 通い合った相手には

何も求めやしないし

相手の幸せを第一義的に望んでるもの




相手の不完全さを

愛しいと思えるなら


そこには

必ず愛がある


心のなかで生まれた愛は

決して失われやしない


だから

たいていの愛の悩みなんて

たいていエゴの塊で聞いていられなかったりする・・・・・



自分勝手な愛の悩みほど

聞くに堪えないものはないから

オイラはうんざり しちゃうんだけどね




話は変わるが
今日は友達が昔の恋の話をしてくれて

                           なんでも

大昔に恋人を振ったときに、その相手に恨まれたらしいのだ

どうもそれがトラウマになってたらしい

そんなんお角違いじゃないの???
って思ったけど

その相手はプライドの高い人だったんだろう

そんな昔の恋のトラウマ忘れちゃいなよ!

っていうか、かなり条件的に素晴らしい相手だったようなので

勿体ない! って笑ったのだけど


オイラの話をいろいろしたら

まったく参考にならない・・・と言われてしまった

すみません><




だって どんなだっていいと思うんだ


こうじゃなきゃいけない・・なんてことないんだし


生き方はたくさんある


愛し方も十人十色


自分が納得していれば決して不幸にはならないよ

どこかで諦めたり

自分に嘘をついてたり無理していれば当然何かが破たんするだろうし

どこか満たされない思いを抱き続けることになるだろう

でも、そういう人に限って与えてもらうことを望んでいたりするものだ

自分から与えたほうが

心も豊かにハッピーに生きられるのに・・・





だから

不器用でも自分なりの生き方で

正直に
人生に向きあってる人がオイラは好きだな


そして そんな愛しい人たちと


過ごすひとときは

とても楽しい☆



みんなのなかにも・・・

美しいハーモニーが奏でられるように

優しくありたいと思う・・・・
































































































































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