Trionfo della Divina Provvidenza




絶望と希望は紙一重....


若いころから多用してきた言葉のひとつ
『希望』...
希を持てる望み。
しかして希を絶たれたら
絶望となる

そんなあやうい関係性なのに
絶望はまるで
悪しきことのような扱いだ

果たして本当にそうだろうか

パンドラの箱に残っていたのが
希望であって

他のすべては絶望的なものだったのだから

むしろ
絶望の後に
希望はやってくる。。。

そういう教訓にも思えないだろうか

絶望的だ
とか絶体絶命的だ...というのは決して最悪でも災厄でもない

簡単にいえば

希みを持たせても大丈夫かどうかを試されてるだけなのかもしれない


絶望でも折れなければ

きっとそれは

真の希望に代わる


やすっぽい
希望といえないような希望には
そんなオプションはついてないから
心配いらない


不可避の状況下に陥れられても
もう匙をなげて遁走するしかなくなっても
立ち向かい続ける覚悟はあるのか??

絶望的な状況の訪れは

物語でいえば
最大の山場のひとつで

主人公が越えてくれなければ
そこで終わる...

それだけのこと

どんなに思い通りでなくても 
予測していなかった惨憺たる現実に直面しても

逃げなければ
絶望は
希望に変えられる

生命の緒が絶たれる
そのときまで

どんなことでも
きっとなんとかなるように
世界はできてる

無用な心配や不安に押しつぶされても
現実は最悪になるだけで
けっして向上しない

絶望に遭遇したら
尻尾を引っこ抜き
矯正させるくらいの気概で挑もう

言いなりになったら思うツボだ


わかい人ほど
もう絶望的..とか口にするのも
それだけ本当の絶望からは遠いからw

直面してる人たちは深刻さゆえに
声にもならないでいたりする

だから
どうか

もしも

少しでも
そういうところに光と希が届けられますように....

ふとそんなことを思った
初夏の日差しの午後....

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