★出生図から読み解く明治天皇
チャートで特徴的なのはいくつかありますが、
出生の蠍座太陽に対する牡牛座土星のオポジション。
そして
太陽、天王星のオポジション。オーブあるものの
この時期、牡牛座に、冥王星がinしたばかりで、天王星、土星と大会合していました。
これは象徴的な事象だと思います。
冥王星の発見は1930年なので、この時代にはまだ存在は知られていませんが。逆に言えば潜在的名ポテンシャルが最も高い状態で、無意識下の見えざる作用として、
時代異変を起こしていったのではないかと思います。
(黒船の来航は1854年、冥王星が牡牛座入りした年でした。天王星も牡牛座にコンジャンクションで起こった出来事です。日本は開国へ向けて舵取りがされていく、
新時代の夜明け...王政復古の大号令もこの冥王星牡牛座時代のできごと...)
歴史は、ときに、ひとつの国全体や、文化や宗教を変異させるように、
偉大な個人を生むことがある。
それは、まるで、その個人のなかに理想として出現するかのように、ある目的の遂行のために 歴史の中心へと導くように...。
歴史の中心におかれるような偉大な個人、あるいは突出した人物には、もろもろの才能や、使命と呼応して、まるで決まり切っていたとでもいうかのように、壮大なヴィジョンを具現化し、その持てるものすべてが完全に発揮され開花していく。
時代を象徴するかのような人物は、えてして、その地位に限定されることなく、あるいは地位や役職におさまりきらないとでもいうかのように、その置かれた立場や役柄の責務を果たすにとどまらず、そのイメージさえ突破していく。そういう存在が 歴史的偉人...というのは、共通見解だと思う。
とはいっても、
歴史を振り返ること 大国の世襲制は、最初からすべてを飛び越えた存在として生まれ。誕生したときから、すべてを手中にした存在。
それゆえに、こうした君主は偉大さを発揮することから、逆に遠ざけられ、内在のあらゆる力や才能を発揮するように鼓舞されたり、導かれない、
むしろ抑制されたりするケースのほうが圧倒的に多かったりする。
むしろ抑制されたりするケースのほうが圧倒的に多かったりする。
例外的に抜きんでた世襲の君主の例は、アレクサンドロス三世。
そしてカルル大帝やピョートル大帝、フリードリヒ大王など。
そしてカルル大帝やピョートル大帝、フリードリヒ大王など。
専制君主の特徴をあげると 脱線するのでこれくらいにして
あえて、これを書いたのは、
明治天皇の太陽、土星のオポジションは、
太陽という自我を表す主体性の星に、制限と抑圧を司る土星が、
そのまま 力のある人が太陽を抑え込む
そのまま 力のある人が太陽を抑え込む
というカタチです。 太陽の自我、アイデンティティを棄てて、
土星(権威や権力)にすべてを委ねたときに、伝統や組織、
大義名分の代弁者として振る舞うことが可能になる
土星(権威や権力)にすべてを委ねたときに、伝統や組織、
大義名分の代弁者として振る舞うことが可能になる
そういうアスペクト。
けれども、これだけだと、抑圧された太陽意識が歪みをうみだし、
影や悪意などをつくりだすこともある。
影や悪意などをつくりだすこともある。
そして、 惑星は 遠いもの(公転周期の遅い)ほど影響がより深いので
太陽に天王星のオポジション、これも非常に効いてると思います。
いま、いえ今年3月には、天王星はこの明治天皇の出生時とおなじく牡牛座入りします。昨年一度入りましたが、一度牡羊座へ戻っていたので、3月6日に、牡牛座へ入る。
そして天王星は、2周目...167年 前と同じ星座に入座
リベンジか! リベンジだろう! とオラの背後はいってる(;・∀・)
それはともかく、天王星のオポジションは、独立や分離、改革の星である天王星が関与するので、自主独立の立場は大歓迎、あまり痛みも感じない、自由さがあります。
好んで革新的なことをしていくタイプもいますから。
好んで革新的なことをしていくタイプもいますから。
そして、オーブありますけど、牡牛座に冥王星が入っていたこの時代は
牡牛座の象徴するテーマは、所有、保守、価値、安定、金銭、 土の星座特有の固着や執拗さを性質的に持ち合わせているところに、それに反する 安定していたものを変えていく天王星、そして、価値基準、質、そのものを変容させる
冥王星があったということは、
一時代丸ごと、それ以前のモノから造り替えていく、大きな時代性の潮流のなかで
個人としてそれを象徴するに至ったチャートとしては、本当に教科書的というか
壮絶なものを感じます。
パラダイムチェンジにも、いろいろあると思いますが、思想や宗教なら風や火、あるいは水のサインだったり土のエレメントは、
そのまま物質や社会基準、規範にかかわるサインですから、
近代化の 背景には
大惑星の土のエレメント最初の星座で起きた、
本当にはじまりだったのだと思います。
2019-2020のグレート、およびトリプルコンジャンクションは、土のエレメント最期の山羊座で土星、木星、冥王星は会合し、
天王星は、この時期と同じ牡牛座で、土のサインに変革を起こしていく流れ
大きな価値観の刷新に 今度もなるとおもわれます。
社会の全体構造を根底から覆し変化させるほどの動きは、数百年や数千年単位の変化なので、くるときは、すべてが塗り替えられて行く。最近の前例としては、まさにこの時代、そして、いまも、まさにパラダイムチェンジ期に突入しつつあります。
という感じで 横道にそれると、いけないので脱線はこのくらいにして
明治天皇の、アスペクトは、他に魚座の海王星が蠍座の太陽とトライン。海王星も現在、守護星座回帰して魚座にあるので、本当に、なんという符号だろう...と感じますが。
太陽、海王星のトライン(120度)アスペクトは壮大な夢やヴィジョン。政治家や実業家に多いアスペクトで、多くの人をまとめ、共通の目的に推進することに手腕を発揮する
さらに、ラッキーなアスペクトともいわれるのは、海王星は木星の拡大バージョンなので、幸運にあずかりやすい。努力なく幸運にあずかるともいわれる。
それは、冥王星とは異なる意味で ある種の宿命的ななにかが働いた場合、
その人の人生に付与されるのではないかと思うです。
明治天皇の海王星は1ハウス。
自己のアイデンティティを土星、天王星、冥王星に剋されえいるなかで
唯一の救いは、この 海王星の理想と希望ではなかったか...
そんな気がしてなりません。
海王星はとくに魚座は自己犠牲ともいわれる星座であり、わが身を投じて、それを立憲君主制という新しいスタイルの創建のために、他のすべてを相殺できるくらいの大きな ヴィジョンをお持ちであったのではないかと思います。
そうでなかったら、あの明治様...として国民から、
そして世界からも認知される存在になりえなかっただろうと。
そして世界からも認知される存在になりえなかっただろうと。
そして、天頂MCの蠍座木星、射手座火星のコンジャンクション。
これはそのまま社会的な野心。活動力も旺盛で、多くの諸外国の要人と交流された背景は、この天頂の星々の影響だろうと感じます。実は華やかで派手さは好きだった
水星の蠍と牡牛座土星のオポジションは、研究熱心さや特殊な趣味、秘密主義の傾向があり、けっこう裏ではこの人も、何をしていたかわからない。そんな気配も感じます。 イメージがひとり歩きしているから尚更...。気に入らない 人事に裏からいろいろやったんじゃないか、この時代暗殺は多かった...。とか
ふと不穏な方向性もうかんだり
蠍座も牡牛座も執念深さではぴか一で、許さないところがある。
執拗に...あの例の暗殺劇は
ともすると、執念の賜物ではなかろうかと、、完全に 脱線していますが。
いずこの国でもむかしから、王族暗殺は未遂でも斬首、
死刑は免れない。公にそれをできないとあったら、さてどうするか
と思ったら、国土から離れた場所で、、ていうのは お約束というか。
なので、、あの事件は、単独犯行などではなく、本当は、つながりを残さないカタチで(蠍座的陰謀)抹殺されたのではないかと
いま、チャート見てておもった。
完全な私観なので、 あれだけど。 替え玉説とか、孝明天皇はまず間違いなく策略によって消された線が濃厚だけれど、 明治天皇のチャートを見ると、相当強いチャートの持ち主なので、陰謀や謀略、奸計にも強かったと思う。
ちなみに、チャートから見ると、ASCの水瓶座は中性的(性別を感じさせない)でやせ型、目鼻立ちの個性的な顔立ち。大きな額と大きな頭部、神経過敏、動物的な本能から縁遠く、知性的。というのが外観にあらわれる特徴だったりする。....
話がそれまくったけど
大政奉還のとき(1967年11月9日)は、1ハウスに木星が入っていた。
画像は、五箇条の御誓文の発令の日のチャート。
1868年4月6日、冥王星が出生の土星とコンジャンクション。
ということは数年前に太陽とオポジションを形成していたということで
完全に国家体制に取り込まれていくカタチで 運命に投じたのかもしれません。
新政府の基本方針を表明したのは、この年の6月11日。
政体書によって新しい政治制度を採用。
明治と改元して一世一元の制を定めた(改元の詔書を発したのは1868年10月23日。
この後は、明治15年(1882年)、陸海軍を「天皇の軍隊」と規定するとともに、「忠節・礼儀・武勇・信義・質素」という軍人としての5つの基本徳目や、軍人の政治不関与を命じた軍人勅諭を発するなど。
近代国家の体制づくりが進行していく
明治17年(1884年)以降は、間近に控えた議会創設に備えて、立憲制に対応する諸制度を創設。
内閣制度、市町村制、府県制、郡制の制定など、
官僚制支配体系の整備と並行して、莫大な皇室財産の設定を行った。
そして明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法を公布。
この憲法は、日本史上初めて天皇の権限(天皇大権)を明記しており、
立憲君主制国家確立の基礎となった。
大日本帝国憲法はだいぶ前に書いたので、割愛。
翌明治23年(1890年)10月30日には教育勅語(教育ニ関スル勅語)を発し、
近代天皇制国家を支える臣民(国民)道徳の涵養に努め。
帝国議会開設当初は、超然主義を唱える藩閥政府と
衆議院に依拠する政党勢力が鋭く対立衝突したものの
天皇はしばしば詔勅を発し、調停者的機能を発揮した。
また、藩閥政府内の元勲間にあった政策や感情の上での対立においても、
天皇は宥和に努めた。
外交上は1894年(明治27年)の日英通商航海条約、1902年(明治35年)の日英同盟など大国との条約を締結し、列強の一員たるべく、軍事的・経済的な国力の増強を図った。
日本が初めて直面した外国との近代戦争である日清戦争と日露戦争では、明治天皇は大本営で直接戦争指導に当たった。他方、日露戦争の『宣戦の詔勅』に続いて作成された詔勅草案は、「信教の自由」と「戦争の不幸」を強調していたが、
大臣らの署名がないまま交付されなかった
また、日清戦争の勝利により獲得した台湾、日露戦争後は、韓国併合による朝鮮領有や満州経営(現在の中国東北部)を進め、日本をイギリスやフランス、ドイツなど他の西洋列強のような植民帝国へと膨張させる政策を採用。
明治44年(1911年)には、開国以来の懸案であったイギリスやアメリカなどの欧米各国との不平等条約の改正を完了させ、名実共に日本は列強の一員となった。
いまの時代は、国家の使命と社会の使命との境界が完全にズレがちで、
国家が保証する平等化はもやは十分とはいえず、国家や国家概念というものそのものが、地球規模の変化のなかで、信頼性がゆらいでいる
この時代は、近代国家の基盤が生まれた時代で
いま迎えている変化は、この副産物としてでてきた問題や、内包されていたゆがみが、
国家自身がもはや その体を保っていられないくらい外観が変貌してしまっている
最初に書いた 偉大な個人の出現というような、
大衆の願望やパトスが一人の個に集約されたようなカタチで象徴的に具現化する背景は、
たいてい社会の危機的状況とセットで、現れる
社会現象の集約でもあるのだろうと...このチャートを見ていてしみじみ思った
出るべくして、出現するべくして現れたそういう星図なので、いろんな話があるけれど
そういうのを すべて脇に置いておいても、必要な存在だった...
というのが個人見解です。
象徴というのは、いろんな 意味があり、複雑で、権威や権力、
そして民族だけの意味ではない、別次元も含まれるということ。
孝明天皇のあのチャートでは、この動乱を担がれて象徴存在として表舞台で乗り切ることは適わなかったと思う。
なので、本当に....深いな歴史...というのが感想です。
チャートは、ひとつめ明治天皇の出生図、ふたつめ五箇条の御誓文、
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