数の論理が終わるとき  ~時代の終焉とはじまり~

 



数の論理とは、政治用語の一つで、

少数派との対話を重視せず、意見の集約を行わないまま

単純な多数決で結論を導こうとする姿勢であるとされる


「政治は数であり、数は力、力は金だ」という

田中角栄の言葉に由来... By Wiki



政党制において用いられることが多く、これによって政局が左右されてきた


けれども

別に政治の世界だけじゃなく


多数派と少数派では

やっぱり多数派の勝利で

 少数派であるマイノリティーは無視される


 昭和の戦後時代は、

 数は力で、力は金であり権力で

 それで世の中がよくなればいい

 そういう考えだったのではないかと思う


しかし 平成を過ぎて令和になっても

果たしてそれは 本当に? 


なんか、かつての 派閥内の覇権争いもなくなって

 なくなったというよりは 秘密結社のようになってしまって

密室の..と揶揄されても

 いまの総裁に疑問しかない若手や中堅層もとうぜんいるとおもうけど

 声を上げたら村八分で きっと

 もう黙って従うしかない様相しか浮かばない


 そして保身のためなら

 長いものに巻かれる

 

 これは教育制度の行きわたり、洗脳教育が完成した証で

 反抗心とか、自分の考えがあると組織に帰属できない

 郷に入らば...で


 社会悪にしかもはや思えないけど


 そうした風潮も

 そろそろ

 おしまいになっていくんじゃないかと思う


 この数の倫理は

 TwitterやFB そしてインスタにYouTubeと

 SNS系で 再燃し


 フォロワーがいればインフルエンサー

 実際それで 収益をあげる 手法もあり スポンサーがつくから流行った

 そして目指す若い人たちもふえ


 いまたぶんカオス

 初期のころに 淘汰されていった SNS系もあるけど

 不透明性が高いものほど

 まだ 存在する


 なんなんだろうなぁ と思うけど

 人の真理として、大多数がよしというなら 間違いないという

 依存が存在し 自己判断をそれにゆだねる

 その危ない 構造について 教えられていないから

 むしろ マイノリティーになることを恐れる

 やむえない状況

 LGBT問題が 勃発したけど 

 せいぜいそれくらい

 性衝動が 根源にあるから死活問題だから 権利を認めてもらう方向にいったけど

 


 派閥のことでいうと

 山本七平の「派閥」の研究とか

 日本の法意識や司法の実態を探り、次いで行政・立法の実際の行使の鍵を握るのが派閥の仕組みと働きに言及されている


 文庫で読めるのでとりあげた


 日本型の派閥というものは欧州圏のそれとは大きく異なっているので

 明治にうまれたものがその発端


 民主主義というものが この盤上にあり

 根底から考える時代にきてると思うので


 ふと もう限界だろうとおもって書いた


 数の倫理が= 民主主義の倫理

 という構図は 全体主義であって

 民主主義じゃない


 

 完結にいえば

 ふだん思考しない人たちも

 もう少し いろいろ考え始めたら

 

 少しは近づくだろう

 とおもって書いた

 

 なにか余計なことかくと

 違う方向にとられかねないので

 個々にかんがえることのが大事


数の倫理の終焉

 水瓶座時代とは、そういう時代になることは確かだとおもう





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