四神に守護される生き方 〜四神が守護する二十八宿〜


昨日のつづきです

四神(四獣)とは 青龍・白虎・朱雀・玄武 のこと

天の四方の星宿

また、その方角をつかさどる神(聖獣)とされています




東の青龍西の白虎南の朱雀北の玄武

と方位神が定められており

それぞれの居所の様相になぞらえて、
地相上では、東方に流水、西方に大道、南方に汚地、
北方に丘陵があることを示しています

昨日も書きましたが
 四神相応と呼ばれる 思想で 四神の守護の役割から

墳墓の壁面や鏡(四神鏡)にも描かれてきました 
もっともスケールの大きなものは都の遷都などの都市計画で  
平城京が最も有名ですが  
その平城京を模して作られたのが鎌倉です


四神にはそれぞれ方位、季節、色、月、干支などがあり


青龍:春:東:青    二月、寅、三月、卯、四月、辰
朱雀:夏:南:赤(朱) 五月、巳、六月、午、七月、未
白虎:秋:西:白    八月、申、九月、酉、十月、戌
玄武:冬:北:黒(玄) 十一月、亥、十二月、子、一月、丑


人生を四季に例えることがあるように

若年期を青春、壮年期を朱夏、熟年期を白秋、
老年期を玄冬とする語もあります

明治の詩人、北原白秋の雅号の由来は、この熟年期の白秋なのは
ご存知だと思いますが

この雅号は考えられてつけられたわけではなく
 明治34年伝習館内で文学界を組織し
  ペンネームには白を冠した名前をつけようと友人とくじ引きをすることになり
白を冠した白秋」「白雨」「白蝶」「白葉」「白月」「白川」のあみだくじで
 たまたま白秋に当たり、それ以降、詩歌の創作を始めたといわれています

 ちなみに くじ引きでついたほかの方のペンネームは
  「中島白雨」「由布白蝶」「立花白川」「藤木白葉」「桜庭白月」


 四神にちなんだ事物はほかに
  青龍偃月刀、白虎隊、朱雀門、玄武洞など




そして四神が守護する二十八宿とは、

月が新月から満月を経て再び新月に至る一ヶ月間(およそ27.32日)の月の運行経路(白道といいます)上にある明るい恒星のことで、
一日ごとに「月が宿る」ことから「宿」と呼ばれ

二十八宿を説く主な経軌には「摩登伽経」、「舎頭諫太子二十八宿経」、「宿曜経」、「七曜攘災決」、「七曜星辰別行法」などがあり、自らの生まれた日がいずれの宿にあたるかを見て、その宿によって人の吉凶禍福を判断することができるとされてきました



【 二十八宿の成立 】



二十八宿は古代中国で天体観測のために生まれた天文学で
紀元前8~6世紀の春秋晩期には成立していたとされています

角宿を起宿として天球を西から東に不均等分割し、均等区分の十二次と共に天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられるようになりさらに二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられて、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられれたことから

東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象
(四神あるいは四陸ともいう)に配されたもの

二十八宿は、それぞれの宿の西端の星
(距星と呼ばれる(必ずしも明るいとは限らない)を基準としています

その距星から東隣の宿の距星までがその宿の広度(赤経差)となる。『漢書』「律暦志」 以降、二十八宿は度数をもって表されたが、その周天度は360度ではなく、1太陽年の長さ、すなわち365度で表されていました。

この場合、正確には365度に4分の1程度の端数が生じるため、その端数は全て斗宿の広度に含められて、これを斗分と呼びます。


【 四神と二十八宿 】

東方(青龍) 角宿 亢宿 ?宿 房宿 心宿 尾宿 箕宿

北方(玄武) 斗宿 牛宿 女宿 虚宿 危宿 室宿 壁宿

西方(白虎) 奎宿 婁宿 胃宿 昴宿 畢宿 觜宿 参宿

南方(朱雀) 井宿 鬼宿 柳宿 星宿 張宿 翼宿 軫宿



そして

四神に守護される生き方と書いた理由ですが

私の家では子供のころから 
 元旦には必ず四方拝をする習慣があり

朝おきてから 
何より先に

四方拝をしてから   
はじまるのが常だったので
家族への挨拶はこのあと行うのです   
いまも その習慣はつづけていますが

みんなのお家でもやってるのだろうと思っていたら   
そうでもないようでしたから

もし 四神に興味があり   
 あるいはすでに 四神を配してしておられるのなら

家内安全、お家のご守護に   
一年のはじまりに   
 四方拝するのはおすすめです

子供のころは よくわからないまま  
習わしといわれてやっていたのですが   
大きくなってから

四方拝は、毎年一月一日(元旦)の早朝 
宮中で天皇が天地四方の神祇を拝する儀式 
 四方を拝し、年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀があることを知りました

草創期は平安時代の初期  
嵯峨天皇の治世(9世紀初め)に宮中で始まったといわれています
儀式として定着したのは宇多天皇の時代(9世紀末)とされ、
 『宇多天皇御記』の寛平2年元旦(ユリウス暦890年1月25日)が  
四方拝が行われた最古の記録のようです

そんな仰々しいものだったのか!っと
 全然知らなかった自分は 四神にお家をお守りいただくための 
 ご挨拶で 
何をするよりも先に  
これを行ってから  元旦が始まるのが習慣でした





 四方拝が誕生した背景は
  平安時代の当時
  病気や疫病、地震、火災、天災といった災い事は
すべて神の祟りが起こすものと考えられ、
  祟りを起こす神の存在を鬼に例えたり、疫神として恐れていたことから
  
  陰陽道が平安貴族社会を基盤にして呪術的に展開されていき、
  律令制の神祇祭祀の中に、陰陽要素を含む祭祀が数多く誕生、
  疫神祭、鎮花祭、風神祭、大祓、宮城四隅疫神祭、防解火災祭、螢惑星祭など
  様々な祭祀が行われており
   京内を結界(聖なる領域と俗なる領域)し、
  京城四隅疫神祭、(都)、宮城四隅疫神祭(内裏)など、
「四角四境」の祭祀を行い 世の安泰を願っていたのがはじまりのようです


 そして
   天皇に倣って、貴族や庶民の間でも四方拜は行われ、
   一年間の豊作と無病息災を祈ったが、
   時代を経るごとに宮中行事として残るのみとなったようです
 (ただし、江戸時代においても摂家など一部の公家の間でも四方拝が行われていた記録も残されている)


  昭和の時代でも家では毎年のしきたりでしたので
  完全に廃れてはいないと思いますが
   皆さまは いかがでしょうか



   私たちが住まう家にも 風水的な方位の見方があるように 
   家の中心から 四方の守り神(四神)に

   家内安全、無病息災を祈ることは
    とても良い習慣だと思っているので
    ご紹介させていただきました





四方拝の歴史には断絶もあり

15世紀後半には応仁の乱で一時中断されたが、
 後土御門天皇の治世の文明7年(1475年)に再興されて以後、 
19世紀後半の孝明天皇の治世に至るまで、
京都御所の清涼殿の前庭で行われた。

明治以降は

京(本来の都(みやこ)ではなくなっていますから



 国学的観点から、道教の影響(北斗七星信仰や急々如律令などの呪文)は排除され、
 神道祭祀として再構成された上、国の行事として行われて四方節と呼ばれ、
   祝祭日の中の四大節の一つとされていた




いままで、四方拝は
  個人的な 家庭の伝統で 
  よその家ではしないことがわかってから
   人には話すことは なかったのですが


  実際に 家の気が変わります

  なので いまもつづけていますが

  上にも書いたように
   かつては 一般にも波及していたものが
   時代性のなかで 失われているとしたら
   それは とても残念でもあると思い

  このような 時代異変が激しく
   今後も急速に 変化変容していく流れのなかで
   
   心穏やかに一年を過ごす
   その心構えが 最初にできるこの習わしは
   個人的にはとてもおすすめであります





追記:下の図は 二十八宿と 西洋の星座対応に関するものです












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