心の在り方は変えられる


いろいろ思うことがあり

この数日・・・ブログの更新をおさぼりしてました。。




でも・・・


自分が経験したことは

すべて尊い意味があり

それを受け止めて

自分ができる最善を尽くすことを

心がけたいと

強く思ったなりです





祖父やうちのおトン(父)の時代に比べたら

日本はずっと豊かになっているはずなのに・・・


苦悩している人の数は増えているのだし

世の中が複雑化してるから・・・っていう言葉では片づけてはいけない気がする



誰の目にもとまらないところで

社会の犠牲となっている人のことはニュースにはならない

そして ふつうに暮らしていれば

そういうことは遠い世界のことで

ないことのように

まるで何もなかったかのように

見過ごされ

忘れ去られてしまいがちだ・・・・




自分はこれまで、心のどこかで

何かを得るために何かを犠牲にすることは

しかたのないことで、むしろ当たり前くらいに思っていたことがある




自分を正当化するために

自分のなかで抱いていた小さな考えを


洗いざらい捨て去りたいと思う




居場所がないなら自分で作るべきだと本気で思ってきた


そのためにがんばることが、そのときの自分には必要だったとしても


そんな自分のなかにやさしさがあったのか・・・・疑問に思う



わずかな偏見や批判的な考えが


心の優しい人たちを傷つけていることは十分にあり得る


自分を主張することも戦うこともなく


すべてを受け止めようとする本質的に優しい人たち・・・


そういう人たちは自己主張しないために


その声は

どこにも

誰のもとにも

響いてこない・・・・・


だからといって


ないわけではないのだ




心の時代といわれるようになったものの



実質


心の尊厳を損なわれている人の数は


増えているのではないだろうか・・・



くみ取らなければならない危機的な状態にいる存在よりも


もっとずっと健全な状態にある人たちの声のほうが


気に掛けられている気がするのは


気のせいじゃないと思う




善意のつもりで善なるものを迫害するような


そういう意識が


無意識のうちに


弱者を作り出す・・・




そういう意識の一端を担うことのないように


自分の心の在り方を


意識化することは必要だ・・・・




正しい答えはないけれど



今の世で・・・日本の小さな社会のなかで当たり前のように思われていること・・

まったく当たり前じゃない

(数年後には時代錯誤だとなっているかもしれないのだし)


なかには理不尽なことも多々あると思う


それなのに

何の疑問も感じないで


小さな共同体意識のなかで共有されていることを


そのまま受け売りのように


同調することのないように





年を老いた人や子供・・・・・弱い立場にあると思われる人たちが


安心して生きられないような社会なら


その国の未来は決して明るいものではない



深刻な問題だと思う























































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