✨年の瀬.... for the Year-End and New Year Holidays

Geminids and Friends




日付がかわった
この時期になると
ふつと思い出す....

それは『土佐日記』の一文
あまりに有名な冒頭のそれである。

『 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。........... 』

これは、
紀貫之が、土佐守に赴任中、赴任先から京へ戻る間の約二ヶ月にわたる旅程の実録をユーモラスに日記風に綴ったもので

当時漢文スタイルが基本だった時代
歌人である紀貫之が残した稀代の名著

12月21日に国府を出発するところから始まり
12月26日に、1週間逗留していた大津を出港、浦戸、大湊、宇多の松原、奈半の泊、羽根、室津と渡り、船旅を経て1月29日に阿波の土佐泊浦に到着。その翌日から海賊に溢れる鳴門海峡を渡り、本州へ向かう。

ほんの短い区間に過ぎない徳島から大阪間の船旅も、当時は危険なものだった。
「承平天慶の乱」の真っただ中にあった当時のヤマト。瀬戸内海では「藤原純友の乱」が勃発していた。その影響を受けてか土佐にも海賊がいて、通行するのは命の危険にかかわることだった。

貫之の旅程は女子どもを連れた一行だったことから、船旅がメイン。海賊に襲われないよう真っ暗な夜中にこっそりと航海を始め、兵庫県の沼島を経由して大阪にある和泉の灘に無事に到着し
旅程は終わるも

当時
貫之は、赴任先の土佐で娘を亡くしていた。
傷心の上に、苦労してようやく着いた京で
彼の屋敷は聞いていたよりもはるかに悲惨な状態に窮し、家を預けていた人の心も荒んでいた...

心折れそうになるその惨憺な情景のなか

彼は

そこに新しく生えていた松を見つける

『 うまれしも かへらぬものを 我がやどに 小松のあるを 見るがかなしさ 』

(『 土佐日記』の「帰京」におさめられたこの和歌は
生まれても帰ってこない子供を思うと、ここにある小松を見ることが悲しい。という意味で)

それにつづく

『 見し人の 松のちとせに 見ましかば とほくかなしき わかれせましや 』

(亡くなったあの子を松のように100年見ることができたのなら、こんな悲しい思いはしなかったのに。)

家に着いても娘は帰ってこない、そして忘れがたいことは書き尽くせない……
今この日記を破り捨ててしまおうと言って、『土佐日記』は終わる....

歌人であった貫之は
漢詩では喩えられない思いを

綴るために 当時の公文書の記録スタイルであった漢詩をあえて使わず
古文を採用したのではないかといわれている所以

文体こそ女性的であるものの、明らかに男性が書いたとわかるようないわば下世話な内容もあり。古文を用いたことで、心情に迫ったリアルな内容が記されている

時代考証としての背景は

『 土佐日記』が執筆されたのは
平安時代の西暦935年頃。
当時の日本は天皇親政から摂関政治へと移行し、
藤原氏による権力の独占が始まった頃にあたる。

京の貴族のあいだでは、国風文化と呼ばれる日本独自の文化様式が生まれた
文化の繁栄期。
寝殿造の貴族邸宅、衣冠束帯と呼ばれる朝廷内の独特な服装、仮名文字による文学作品がその最たるもの。

『土佐日記』は紀行文と似て、日々起きたことが日記のような形式で綴られている。こうした自由な書き方は、それまでただの記録でしかなかった
書き物の世界に「文学」という新しい価値を与えることとなったのは確かだ

この作品がなければ

その後の清少納言の『 枕草子』や紫式部の『 源氏物語』は生まれていなかっただろうと
いわれている....

歌人として名を残した紀貫之は

生没年がはっきりしておらず。平安時代前期の人物であることは間違いないものの。一族としての紀氏はヤマト王権のなかで対朝鮮関係において特に活躍してきた一族でありながら、この時までに政変に巻き込まれて没落していた。
そんな没落貴族に生まれた貫之は、若い頃から歌人として名が知られており、905年には醍醐天皇の命令で初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂に参加。
当時推定30代の彼は、巻頭に付録する2つの序文のうち仮名序を担当している。
この序文にて、和歌を
「人から生まれた高尚な芸術である」と定義し、その後も歌の世界で功績を挙げていった。彼の官吏としての官位は生涯を通じてそれほど高くはなかった。

けれど、後世に遺したものはとても大きい

土佐日記の旅程は12月21日からはじまる

この時期は冬至を迎える陰極まって陽へ転じていく境目の時期

旅程は偶然だったのだろうけど

ふと重ね合わされるのだ.....

一陽来復....

冬至は易では地雷復

破壊のあとの建設を象意とする
復興は冬至を示し
陰の気がたちこめ極まっているなかで
地中深いところに
春機が発動していることを暗示している

長かった苦しみを越えていく時期でありながら
焦って芽を出せば
晩霜に遇って、たちまちくじかれる

じっくりと
将来の大計を樹てるべき天の時である

万物を生んでやまない
大地の心に寄り添い

天道の循環とともにあるように....

まもなく迎える冬至を祝して

長々と書いてきましたが

皆様にとって最良で最高の年の瀬となりますように✨(*^▽^*)✨











コメント

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