イランとイラク ~イラン制裁について思うこと~




【5月27日 AFP】イラクのムハンマド・アリ・ハキム(Mohammed Ali al-Hakim)外相は26日、同国の首都バグダットを訪問しているイランのモハンマドジャバド・ザリフ(Mohammad Javad Zarif)外相と会談し、会談後の共同記者会見でイラクが
「隣国イランを支持し、経済制裁は不必要だ」との考えを示した。

そのNEWS見て
SNS上に書いたこと↓↓↓





これ凄いことだよ!

平成生まれは知らないだろうけど
イランはイラクと
イラン・イラク戦争(1980~1988年)
をおもうと
深い意味と意義をかんじる。

イラン・イラクの対立は

イスラム教のシーア派とスンナ派の対立
さらに
歴史的には
アラブとペルシアの対立
さらに遡ると

紀元前3000年
原エラム(現イラン)とメソポタミア(シュメール...)現イラク)
の対立してきた

文明史からの

最古級の対立の再現

といわれた。

理由は、イランはシーア派のイスラム革命が70年代に起き、
それ以前に(60年代)当時親米派でパーレビ王朝(パーレビ王、パフラーヴィ国王)による白色革命、いわゆるイランの近代化を主導し西欧化を提唱した改革、(白色革命の白色は、王からの勅命とう意味)
この時代のイランの女性達は洋装をまとい、まるでヒッピーのようなファッションの人たちもいた。
いまでは信じられないだろう
話がそれるので戻すと

この状況下でイランは米から大量の武器購入もし経済格差をうみ、70年代に破綻
そして
シーア派の宗教学者ホメイニー(のちにパフラーヴィ国王を国外追放した)
イランの十二イマームの精神指導者は
イスラム共和体制を成立させ 「 アヤトラ・ホメイ二師」とも表記される
彼は新生イラン・イスラム共和国の元首になった

これは周辺のアラブ諸国と異なる政治体制で、相容れないアラブ諸国の警戒を強めた。

一方、隣国のイラクは
アラブ帝国と古代メソポタミア文明の復興を掲げる
サッダーム・フセインが
反対派を粛清しバアス党を掌握、強固な独裁制を
確立、原油輸出で生まれた富で積極的な軍事拡大をおこなっていた。イラクは中東最大、世界第4位の軍事大国と化していた。

今のイラクからは信じられない国力をもった
その背景でイランに戦争をふっかけた
理由は

イランの重要な油田地帯、かつてメソポタミアから侵略受けていた イラクとの国境でありペルシア湾に面する
フーゼンスターン州は

イラクのバスラの近隣にあたる

歴史的にイラクの住民が多く

メソポタミア時代は 原エラム(首都はスーサ)の地で
アーリア人に流入後に 最初に定住しエラム人と混淆した場所

イランでもっとも歴史の深い地域で
フーゼスターンはもとのとの住民である「 フーズィの人々、フーズィの地という意味」
メソポタミア以降は
メディア(古代イラン人が建てた王国)
アルサケス朝の基盤となった

フセインは
この地をアラビースターンと呼んで
アラブ領土の失地回復という大義名分で
イラク領へ組み込もうと企てたのだ

日本は恥ずかしい国で
まことに表面的、表面上でしか
当時も報道されていない

最初に奇襲攻撃を仕掛けたにはイラク

長くなるので
イラン・イラク戦争の詳細ははぶく

イラクの予想よりも
はるかに大きなイランの抵抗にあい
イラン側は20万人を越す義勇兵が前線にたち
膠着状態がつづいた

イランは孤立していた(アラブ諸国はイランを一ミリも支持しなかった)
けれど
当時、建国から日が浅く
エジプトを除いてアラブ諸国との関係が正常化していんかった
イスラエルはイランを援助し、米国性の兵器部品などイランに代わって調達しイランを支えた

(いまのイスラエルからは信じられないだろうが事実)

アラブ諸国はイランに警戒し
反イラン
スンナ派が多くを占め、王政や独裁制のアラブ諸国にとって、イランのイマーム派の革命が輸出(ひろがる)のを恐れていたため、イラクに対して武器援助と経済支援を続けた

完全に孤立して死屍累々のイランは
降伏検討も目前のころ

北朝鮮もイランを支援
北とイランの関係はこの頃から続いているが
これに怒ったイラクは北朝鮮と国交断絶した

そして
イスラエル空軍機が
1981年、ヨルダン、サウジアラビア領空を侵犯しイラク領に侵入
フランスが技術協力していた
原子力発電所を空爆した
(イラク原子炉事件)

1982年には
シリア経由のパイプラインが止められ
イラクは原油輸出ができなくなったころから

形勢が逆転しはじめる

イラクは
対イランだけでなく
イスラエルへの防空を強化しなければならなくなった。

6月にはイランは旧領土をほぼ奪還し
イランの勝利もありえるとおもったフセインは
休戦をもちかける。
しかし、戦況を巻き返したイランは(ホメイニーは)
フセイン体制の打倒に固執
戦争はなかなか終結しなかった

そんな最中
この年、シリアの占領下のレバノンの
イスラエル軍が攻撃し レバノン内戦が再燃

欧米の目はレバノンに向けられ
アメリカはフランスを呼んで
共にレバノンへ軍を派遣した

レバノン内戦裏では

イスラエルとイランが密接に連絡をとりあっていた。

いろいろあって
世間の目が遠ざかり沈静化したころ

1983年アメリカがグレナダ侵攻、レバノンのアメリカ・フランス軍のキャンプが自爆テロ攻撃をうけ報復に
シリア軍を艦砲射撃して、
1984年にレバノンにあった
アメリカ大使館爆発事件を機に撤退した

直後に
再びイラン・イラク戦争が再燃した

アメリカは 国際連合から化学兵器の使用を
非難されたイラクと
正式に国交を回復し、援助も公式援助になった。

翌年1985は
イラン・イラクは相互に都市をミサイル攻撃
イラクはソ連のスカッドミサイルを改良した(アル・フセイン)を撃ち込み
この頃からイランはミサイル開発に力をいれはじめた。

アメリカの介入が増したのは
1986
イランを支援し続けるリビアとアメリカ軍機が
シドラ湾で交戦
アメリカは4月にリビアを攻撃したが
12月に イラン・コントラ事件が発覚
(イランとの裏取り引き)

ロナルド・レーガン政権が
アメリカ軍がレバノン内戦の火消しにいってるなか、
レーガンは非公式でイランと接触し
イラン・イラク戦争で劣勢にあったイラン対して武器輸出を約束した

当時、イランとアメリカの関係は
イラン革命後の1979年に
イランで発生したアメリカ大使館人質事件によってイランとの国交断絶していた

当然、イランへの武器輸出を公式に禁止していた上に、政治家や官僚、軍人による
イラン政府との公式な交渉も禁じられていた。

さらにイランの敵対国であるイラクとは
国交があり支援側にまわっていた。

レーガン大統領というより
アメリカとイスラエルは

反吐が出るほど汚い国同士なので
日本人ほどおろかで、低脳のうえに思考力停止した民族でなければ

アメリカを信頼したりしない

国民には罪はないので政治的な国体として
あり方が裏切りと嘘で出来ている

そういう国から
学ぶというのは

国家的成長ではなく
国家的崩壊へまっしぐら
悪への加担と同様だというのは
理解しとくべきだとおもう

右手で握手しながら
左手で武器を突きつける国
だとオラは思ってる

恥ずべき国なので

英国の反米デモは非常にわかる
日本くらいだ歓待してるの

北と米がどんなだか38度線作った時から
ミツヤクがある

本当に

日本の行く末をおもうなら
どこも信頼したり頼りきらないでいいように
二重三重構造で
国益を守り 決して隙をつくらないように
強化体制しかないだろうに

長いものに巻かれたい
DVやパワハラされても 離れられないなんて
表向きはともかく
ちゃっかり自国保存をと抵抗してきた
政治家は尽く目をつけられ
消されてしまったけど

民意が高くなれば
簡単にはいかなくなる

民度あげ、いい加減 情報操作から
目覚め、 近代史のなかで
事実として起きたきとから
今後を 意図的に 国家戦略たてないと
もってかれ
尻の毛まで抜かれ
捨て駒にされる

その危険
オトモダチの国から謀られるのが一番可能性高いこと
そろそろ気づいたほうがいい

少数民族化した頃合に陥穽が待ち受けてる
そういう懸念は高い

イラン・イラクは

歴史から学んだのだとおもう

本当の敵がなんであるか…
( ̄― ̄??)

せっかく

イラン・イラク戦争は終結をみたものの

この後は

湾岸戦争(1990)

あれを

語るには
長々書いた
イラン・イラク戦争は

知っておくべきで

けっきょく
乗せられたのはフセインだけど

無念だろうとおもう

イランもイラクも
すべて承知のうえで

イラクはいま
イランを支持しているのは

本当に切ない思いすらする

そして
余談だが

日本では

長引いたイラン・イラク戦争を(イライラ戦争と)もじって呼ばれた

いつまでもおわりなかったから

しかし

終局まえ
さっき書いた1985年の両国間の都市へのミサイル攻撃がはじまったとき

フセインは3月18日
48時間の猶予期間以降、イラン上空を飛ぶ航空機を
無差別に攻撃すると宣言

記憶にあるとおもうけど
当時ニュースでも流れた

イランに滞在していた日本人以外の外国人は
各々の航空会社や軍の輸送機で順次脱出

しかし
日本の対応は体たらくだった

ただちに日本航空にチャーター機派遣を依頼したものの
同社のパイロット、客室乗務員が組織する
労働組合は
組織員の安全が保障されないことを理由に拒絶(飛ばさなかった)

在イラン日本大使館は騒然、手を尽くして
日本人を脱出させるために奔走した

救援機を派遣した他国に交渉し、なんとか
1人でも乗せてもらおうとしたが
いずれの国家も自国民の救出で手一杯で、希望者を乗せてもらうことかなわなかった。

200名を越える、イラン在外日本人は
まったく脱出方法が見つからないまま
生命の危機に瀕する状況下にあった

同年8月12日 日本航空123便の墜落事故で亡くなった
海上自衛隊出身の高濱雅己機長は

真っ先に急便隊の運行乗務員に志願したと
言われている

この当時、自衛隊法では自衛隊の外国における活動を人道的を含めて想定されていなかったため、
またイランまでノンストップで飛行できる
航空機が配備されていなかった。そのため、現実的に自衛隊を派遣することも不可能だった

現在は、このような非常事態の際には外務省が在外公館を通じて相手国の許可を得た上で、航空自衛隊の日本政府専用機や海上自衛隊の護衛艦による
在外日本人の救出を行うようになっている。

陸自や海保も在外邦人輸送訓練がおこなわれている

話がそれたが

このときどうやって救出されたか

八方塞がりになった日本は
土壇場で、個人的な親交に一縷の望みを託した

当時の野村豊イラン日本国特命全権大使が
イスメット・ビルセル在イラントルコ特命全権大使に
救援を要請した
本当に最期の希望だった

トルコ政府はこれに応じ、トルコ航空の
自国民救援のための最終便を2機に増やし

215名の日本人はそれに分乗しイランを
脱出することができた。
フセインが宣言した

タイムリミットまで残り1時間15分前だった

なお
このとき、
トルコ機は、自国が近隣に位置することから
陸路でも脱出ができる(それも簡単ではないとはいえ)
自国民よりも

日本人の救出を最優先し、

実際この最終便救援機に乗れなかった
トルコ人やく500名は

陸路自動車でイランを脱出した。

イランからの陸路がどんなもんか
知ってたら、どれだけ日本人が
大切にしてもらったか
忘れてはならないとおもう

なぜトルコ政府とトルコ航空が
厚情をしめしてくれたのかは

1890年(明治23年)日本に親善訪問した
帰途、和歌山沖でフリゲートエルトゥールル号(オスマン帝国(現トルコ)の軍艦)遭難事件で
救助に
際して
日本から受けた恩義に報いる意識が根底にあったといわれている

これは
2015年日本・トルコ修好125周年記念してエルトゥールル号の遭難事件とテヘラン邦人救出作戦を描いた日本・トルコ合作映画『 海難1890』で映画化された

話がたびたびそれてしまったが

イラン・イラクは

隣国同士で 違いにハメられ踊らされた同士でもある

この会談は 意義深く
本来なら
ともに
発展してただろう

第3国入りするような
国じゃなかった…

白人主導に

世界平和はないだろう

第三国は助け合い自立を目指して

巻き返していけばいい

そうなったほうがいいと
オラはおもってる


この世界には正義は存在しない
人道的というのも 平和で
法のもとにあるときだけ

他国への 内政干渉
あらゆる悪事をはたらきながら

搾取構造を維持するために

弱体化させ
あらゆる 汚い手をつかう

そんな 犯罪組織のような覇権国に
したがう必要なんてない
















コメント

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