✨一神教と多神教


https://gigazine.net/news/20191112-individualism-incest-taboo/

↑↑↑この記事は「キリスト教による近親婚の禁止が、西欧を中心にカトリック教徒の行動や思考に大きな変化を与え、個人主義的な考え方を増加させたという説について


この記事には反論がある 
書かれているようなこと 
そうじゃない... 
キリスト教を国教化したことで 
ローマは衰退し
 個人主義は その信仰によるものが大きい

 共和政時代を終え 帝政期に入っても
ローマはそれ以前の慣習を踏襲し 
寛容の精神をベースに 国体を維持していた 
内乱を逆手に コンスタンティヌスは 
元上司のマクシミアヌスを殺害 
公表では自殺になっているが
 予定よりも早く戻り殺害を企てたという 
妻や子も捨て父親同様 打算で動いていた この御仁 
当時の混迷期だからこそ 
可能だったともいえるけど 
統一のために手段を選ばず....だった 

それはさておき
 最悪なのはこれ以降で
 ミラノ勅令でキリスト教が国教化されたことで
 コンスタンティヌスの後継世代の皇帝は 
 キリスト教擁護で 
完全に政教一致へと邁進
 悲劇を重ねっていった 


ところで 
古代ローマ時代
 ユダヤ教およびキリスト教
 とくに キリスト教が
ディアスポラを通じてローマ帝国内に広まっていくと、
ローマ帝国政府当局により迫害を受け、
多くの殉教者を出した。
 というキリスト教による歴史観は間違っている

 これにはローマ帝国が元々多神教国家であった事 

基本的によその神を認め
 宗教弾圧はしていない

 それとは別に
ローマは
皇帝崇拝を並列することを要求したのを
 一神教徒が頑なに拒み 共存を拒絶していた 

ユダヤ属州に至っては 属州税も踏み倒し

 歴代の皇帝にとって 
かかわり合いになりたくない案件で
 書簡でも 属州総督に任せっきりだったことが 残っている
 問題を起こさない限りは不問だった

 無理やり改宗させることもしていない上 

交易や彼らの権利も認めていた 

特にネロ、ドミティアヌス、デキウス、
ディオクレティアヌスといった皇帝のもとで
迫害が行われたとされているけれど、
 ディオクレティアヌスによる迫害を除いて
あまり大規模なものではない
 そのディオクレティアヌスによる迫害でさえ
それほど大規模であったかは疑問とされる。

 一方で キリスト教は 2世紀末には、
ローマ帝国全域に教会は組織を広げていたと推測される

 野放しでなければ 全域にまで浸透しない

 彼らの被虐心は異常 

一神教すべてにおいていえることだけど

 日本において 宗教はイコール平和的 
という観念は 
 この国だけに存在するもので 

宗教は 一神教であればあるほど 
戦闘的で攻撃的なのが その本質

 平和的に変わったのは 
天下をとってからのことで  

その後でさえも
キリスト教は
 他の宗教や多神教を異端として 迫害
 残虐な殺人を平然と行った 

悪しき 信仰に 崇高さなど欠片どころか
 微塵もないことを 弁えてから 言ってもらいたい

 彼らの主張の矛盾を 弁明する余地など
 1ミリもないのは事実なのだ

 話がとんだけど 
 そういう狭量な思考によって

 それ以前に存在した 
ローマ式の公共風呂もなくなり 
育英基金も廃止され
 嫡子にも庶子にも与えられていた配給も廃止 
1番痛手だったのは
 古代オリエント時代から 脈々と利用してきた
 古代の医術 薬草やハーブ、
あらゆる民間療法が 禁止された

 黒歴史だというのは 

彼らの無知によって迫害されたものは 

それ以前に発症がなかった 
伝染病を蔓延させ 大量死をもたらした

 中世の黒死病やペストとか
 民間療法が 公然と認められていたら
 衛生的にも起きなかった  

キリスト教の国教化で 
とくに 入浴の習慣がなかった蛮族の多い欧州は 

壊滅的にやられたのは 不衛生のうえに
 予防すらしていなかった

 恥ずかしいくらい 退行していたということを

キリスト教への懐疑的な思想がうまれ

ルネサンス期に 懐古主義が台頭したものの
 根源である キリスト教化 以前の システムを
 彼らは辿れなかったところが 限界で 
実は失敗でもあった 
美術関連も そこに帰結する 

教会を破壊できないまま
 かつての古代神殿からは
 大量にマーブル(大理石)や資材の再利用のために 
盗掘し破壊 
ふんとに底があさすぎて 
(ノ)•ω•(ヾ) 
お話にもならないんだけど 

日本の教科書では 
ものすごい持ち上げかたをされてるので 
従順な人間は 近代以降の洗脳のまま 
きっと
 本質なんか まるっきり理解しないで成長してるだろう


 話が戻るけど
 コンスタンティヌスの後の皇帝
 フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスは
 コンスタンティヌス朝の皇帝の一人で、
 コンスタンティヌス1世(大帝)の甥に当たる。

 最後の「異教徒皇帝」として知られる
 フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスは、
異教復興を掲げ
キリスト教への優遇を改めたため、 

「背教者(Apostata)」とも呼ばれる

 キリスト教にとっては
 我よしの 根源がそこなのだ

 だから この記事には反論したい 

近親婚の禁止で個人主義なんて 
 巫山戯た話を 

よくもまぁ そのせいにだけで理由付けられるものだと
 呆れている 

寛容性のない利己主義が 
キリスト教の根底にあり

 近代以降 政教分離したものの 

ながきにわたる黒歴史から思うに 

植民支配といい 
やってきたことが 
到底 褒められたものではなく

一神教的な考えは 
 個人主義に至るのだとおもう 

なぜなら 
自己の救済が根底にある 
救済されなきゃいけないほど
 悪しき生まれ(原罪)なんていう 

そんな 考えを植え付けられたら 
 歪みが 半端ない 

矛盾の解消は個人的なものになるだろう

 全体性をとらえるには

 視野狭窄すぎるから 
キリスト教化されてから
 古代より世界観が退行している


そうした
捏造史
一方的なヨーロッパの近代史以降の
歴史観は
今後 

彼らが古代の知識やすでにあったものを
あの当時再発見したように

改められる日は訪れるとおもう

それは古代の復興という意味ではなく

統合という意味で..

水瓶座♒冥王星期には
かなり鮮明になるとおもう
( ˙꒳​˙  ).。oO






コメント

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