↑↑
FBでシェアってた方がいて
読んで思ったこと(下部に全文引用)
サルトルもだけど
オラの大好きな
ミヒャエル・エンデも
ノーベル賞辞退ちた
他にも何人もいらっしゃる
彼らは
作品そのものが
深い哲学が透徹されていて
逆にいえば
作品の崇高さのほうが
ずっと 存在意義を放っているから
標本化されるのを
良しとはしなかった
反骨の塊といえば
そうでもあるけれど
でも あまりに素晴らしく
彼らの場合は
授与を引き受けるよりも
未来へ
拠り所....道しるべを遺すほうが重要だったに
違いないとおもっている
その精神はまだ具現化されてもいない
エンデはお金を介さない社会を
構築し
その必然性をといていた
いまの泥棒社会は人間を疲弊させる一方で
豊かにしないと....
世の中受けしないのは
不都合な人達のほうが
多いからで
先進諸国の多くが 個人を借金漬けにして
隷属させてきた
あれを否定するには
理想のモデルを提唱する必要があったから
エンデは晩年 メディアのなかでも語っている
ぜんぜん流行らないけど
理想が=受け入れられなかったとしても
最期まで力や権威に屈しなかった人々...
老子もはっきりいえばそっち側だった
人口も急激にふえたのだし
そろそろ実験国家が誕生しても
良さそうなのに....
この半世紀くらいの
世界の営みは あまし褒められたもんじゃない
極までいけば
変容も容易くなるんだろうか...とは
おもうけど
占星術では
まえに年齢域という見方があるとかいたけど
あれとは別に
土星周期の由来する7年周期の見方もあり
年齢域でいう
太陽期は25~35だけど
7年周期では
28~35歳
ちょうどサターンリターンからの7年は
本当の自己の種子を見出す時期で
太陽期もまぁそうなんだけど
サターンリターンでは
土星意識、それまでの社会常識や
借り物の価値観が崩壊し
再構築をはかることになる
ここで自己とはなんぞや
をしっかり対話した人は
太陽意識の獲得が成される
他ならぬ自己創造の基盤
次の火星域(期間)は35~45だけど
7年周期では
35~42歳
まさにミッドライフクライシスに突入する時期で
太陽期に獲得した自我や自己の核の部分を
社会にどう発揮していくか
それまでの レーンに乗って自動化しないで
納得のいく 自己をさらに鍛えたり
核の部分の醸成や熟成期間ともいえる
自己のなかに核のない場合は
かなり危ういカタチで社会に飛び出し
痛手を受けたとしても
それも経験値として吸収できる
次の木星期は45~55までで
火星期までに鍛えたものを
拡大発展させる 経済的な成功という形になりやすい
7年周期では42~47で
本当の個として核の部分の結晶化
それは明確な形での結晶化で
迷いや不安とかは介在しえない
死ぬまで貫かれる自己の顕現で
進路のくっきりとした
ヴィジョンを意識できる
48~56までは
再構築
軌道修正を大幅にはかる人たちもいる
土星には
サターンリターン(約28年)、ハーフリターン(14年)
と 出生時の土星に戻ってくる時期、オポの時期は軌道修正がされるので、強い意志を試されたりもする
模倣ではない
自己創造は
簡単ではないため
選ばない人達もたくさんいる
借り物かオリジナルかは
大きく異なる
基本の素養を作り上げる時期は
若年時代なので
苦労は買ってでもしておくように
という先人たちの教えは本当に理にかなっているのだけど
打たれ弱い人達もふえてきたのは
残念なことでもありゅ
7年周期の前半の4回分を省いたのは
サターンリターンまでは
自己創造したくとも
土星の圧が効きすぎているからで
周囲の たとえば親や教師や先輩とか
目上や年長者の存在が持つ 土星意識のコピーだから
育成期は その人のモノではない
土星は重要な精神と理性を育む
土星がヤバいと抑圧的になり
甘すぎると 自堕落
土星の修行は深く
コツコツやるしかないだけど
土星をモノにした人達の晩年は
たいがい安泰で
大器は晩成す
というのは
大器を造るのは土星の仕事だから
ビジネスで成功していく人達は
火星、木星、土星が
たいていメジャーアスペクトを形成している
土星が作用しているばあいは
長く続くので 簡単に挫けない
火星、木星だけだと火力はあるけど...
継続は力....の土星
土星はこの3月
春分を迎えたあと
ホームを離れ水瓶座入りする
山羊座でのグレートコンジャンクションに
しっかり戻って冥王星とアスペクトするあたり
古代王権は神が降したもので
人間の所業ではなかった
シュメールをおもう
土星のイメージは
オラのなかではエンキ
エンキは真水の神様だけど
もっとも純粋な物質...
土星は 地味で忌み嫌われたのは中世の時代メランコリックな星だとか
サターンなんていう名がついてるように
ネガティブなマレフィックな星扱いで
忌避された
けれど
この世は土星のルールで共有されている
常識や社会規範
時代とともに変容しながら
社会構築してきた担い手
土星の意義は深く 本当に狭量さもあるわけだけど
ジャッジメントの星なので仲良くするのが1番にゃのら
権威に楯突くのは
土星に反するようなものだけど
その権威そのものが 既に価値なきものになっていたら
土星は改めて 再構築を
冥王星に委ねるだろう
そんな星たちの
会話が聞こえてきそうな気がする
オショーの記事とは関係ないようだけど
オラはこの人は土星的だとおもうので
ふとつらつら書いてちまった
↓↓↓ FBのフィードより
Prem Sheel
2016年1月12日
ジャン・ポール・サルトル、
今世紀の
もっとも重要な人物のひとりは、
ノーベル賞を辞退した。
その理由を聞かれて、
彼はこう言った。
「ノーベル賞 を受けると、
ある意味で
妥協することになる。
自分では認めていない社会から、
ある意味で
尊敬を受けることになる。
おそらくノーベル賞で、
私は弱くなるだろう」
「彼らは私のことを
とても尊敬している??
その彼らが信じている
あらゆるものに対して、
闘いつづけることなど
できるだろうか。
彼らの神に対して、
彼らの道徳に対して、
彼らの政治に対して」
彼は言った、
「ノーベル賞を受けることは
自分を売ることだ??
そんなことは私にはできない」
彼はまったく正しかった。
だから、いいかね、
けっして妥協してはいけない、
どんな犠牲を払っても。
たとえ
自分の命を犠牲にしても、
妥協してはいけない。
妥協した人は、
骨抜きにされた人だ。
自分の個としてのありよう、
そして
自由のために死ぬ人は、
喜びをもって死ぬ。
存在の祝福すべてが、
その人のものだ。
私は、
どこでも
たえずミスフィットとして
生きてきた。
そして、
それを徹頭徹尾、
余すところなく、
楽しんできた。
まさに
自分自身であることは、
ひじょうにすばらしい旅だ。
あなたは自分の実存、
自分の潜在能力を
発見しつづける。
そして、
ある日、
この発見があなたを、
自分の実存の
究極の開花へと導く。
その究極の開花を、
私は光明(エンライトメント)と
呼んでいる。
あなたは光を放つようになる。
この世に光明を得る人が
ほとんどいなくなったのは
なぜだろう?
私は、
この問いを
何度も何度もたずねられた。
理由はひじょうに単純だ??
彼らはその生涯、
あえて
ミスフィットでありつづけ、
非難され、
不名誉にあまんじ、
拒絶されようとしなかったからだ。
ごくわずかな人びとしか
個人でなく、
ごくわずかな人びとしか
自分の実存の究極の爆発に
至らなかったのは、
そのためだ。
始めた人たちはいた、
が、
彼らはまさに
自分自身であることの危険を
目のあたりにして、
結局は妥協したのだ。
私は、
なににも
けっして妥協しなかった。
それは途方もない助けになった。
厄介なことではあった??
誰もが私に反対し、
誰もが私を非難していた ??
が、
それは独りであるための
途方もない勇気を
私に与えてくれた。
私は、
自分が
苦しまなければ
ならなかったことはすべて、
どんな不平も言わずに
その苦しみを通り抜けた。
私は自らそれを選んだのだ。
だが、
その火が、
私の実存をさらに、
さらに純化した。
だから、
どのような点でも
妥協してはいけない。
というのも、
その妥協点が
あなたを弱くするからだ。
あなたは自分の
個としてのありようを
失ってしまう。
だが、
エゴイスティックに
なってはいけない。
謙虚であるがいい。
エゴイストになりたければ、
遅かれ早かれ
妥協するしかない。
だから、
妥協はなしだ、
結果はどうあろうとも。
結果として死がやって来ようと、
あなたは
死を踊りながら
迎えることができる。
死を踊りながら
迎えることができるのは、
個人だけだ。
死などないことを、
死はひとつの形から
別の形への
変容でしかないことを
知っているのは、
個人だけだからだ。
そして、
もし彼らが
全面的に咲いたら、
光明を得たら、
自分たちは永遠の実存であり、
不滅だということを、
完全に、
途方もないくつろぎのうちに知る。
全宇宙が彼らのものだ。
彼らはつねに
ここにありつづけてきた。
彼らは今ここにある。
そして、
永遠にここにある。
彼らは存在の固有の一部だ。
死は問題外だ。
そして、
これこそまさに、
生があなたを
導いてゆくところで
なければならない??
不死の体験へと。
Osho - From Death to Deathlessness
コメント
コメントを投稿