時代変化とファッション


 ヴィンターハルターの1855の作品

『 侍女に囲まれたウジェニー皇后』

19世紀こんなだった

ウジェニー皇后はナポレオン三世の皇后で

フランス最後の皇后でもある


フランス第二帝政期は1826~1870と

20年にも満たないわずかな期間


ちょうどこの作品の50年代は

権威帝政期と呼ばれ

もっぱら皇帝の専制政治だった


まぁこのファッション見たらわかるがな

丸わかりっていうか丸出しっていうか


この後は60年代

世はフランス産業革命の完成期に至り

自由貿易主義に転換


近代の銀行制度の整備は48年代のカリフォルニアや51年代のオーストラリアの金鉱発掘で

従来のロスチャイルド系金融機関と異なる

産業系金融産業系投資や商工系が創設されていった時期

仏の金貨保有はこの20年間で8倍に増加したことが促進につながった


インフラは鉄道の整備

パリの大改造と

そういえば

1855年はパリ万国博覧会も開催されたはず


この絵を見るとおもうんだよ

ハルターにとっては


この籠女たちは

どう映ってたんだろうなって


この絵画には


それ以前の


オラの好きな宮廷の華やぎや

遊びはまったくない


むしろ


所在なき様子すら感じる


栄華は遠い彼方(遠景)にあり


薄暗い影を帯びた森のなかのような

あるいは洞窟のような


開放感の無さは


完全に 宮廷の権勢とは対局のようだけど

ピークに達したときは

すでに落ち目という


これだけは諸行無常


陰謀論なんかの

うすっぺらい 解釈が


文化や歴史背景や

人を疎かにしないで語るようになったなら

少しは

期待できるけど


ハナクソ以下のような


下衆の極みであるうちは


変化は程遠く


まだ渇望にまで至っていない


だけど

これからくる

テクノロジー革命は


もう戻ることのない

社会構築に

つながっていく


今日見た夢は


プロトタイプの

古というか原プロトと


まったく異なるプロトタイプが主流であったのが

原プロトの

ネットワークにもたされていた


重要な因子の

保護のため

明らかにされていないことが


再興の再構築時に起因となるため

保持されてるということで


理解度によって開示されるから


人類の進度的には

いぜん太陽系型から

離脱できるようなだんかいじゃないということだった


もっといろんなこと

降りてきてたけど


ふんとに起きると

ぜんぶ消失する

持ち帰りできないもが

だから


現実とはいえ


書きたいけど

まだなんだな


なんかもう

書くことないなぁ

っていうくらい

SNS離れも個人的に

おきてるけど


思うのは


人口のおおよそ3分の1は、過去という列に並び、

別の3分の1が未来のニーズに列をなし、

最後の3分の1が曖昧な態度になるのである。

(オラがよく日和見菌といってる層のこと)


個人的レベルでも集合的レベルでも、

この状態である限りは、両極化を助長するだけであり、

その時代の進化のニーズに沿ったスムーズな移行が起きるような一体化は図られない


なかでも急進を望むのは

数パーセントにも満たないだろう


ほとんど人は75~80%過去からの影響が大で

そのなかで未来を志向する

イメージするから


この絵画の時代

前回の産業革命は、海王星と天王星が山羊座に滞在した時に始まり、

両方の天体が水瓶座に移り、冥王星が牡羊座に移った頃に色濃くなった


いま冥王星は山羊座を進行して

産業革命時代のヒエラルキーの瓦解に入ってる


最終工程は

水瓶座への冥王星移行と

海王星の牡羊座入で顕著になるとおもう


まだ少し早い


共有は期待できそうにないけど


だけど

だからこそ


新旧の進化サイクルの間に生み出される緊張は、

かなり激しいものに

想像されてる以上のギャップをうみ


人口の一部が古い現実の構造を維持しようとする一方、別の一部は、ポジティブで必要な成長が起きるように、新しい方法でそれに立ち向かい、前進しようと希求して


また別の一部は、そういった問題や課題、両極の人々の主張に対して、大なり小なり揺れ動く


もはや大衆にあまし意味が無い


賛同もいらないという意味で


なので


ますます

離脱傾向が強まりそうだけど


ごく一部の動きなので

旧勢力のが

共感共鳴を 集団幻想のために

相変わらず利用するんだな

っていうのをかんじるからだけど


この近代化以前も含めて

人意識の進化に関しては


超越的な統合による再生というアーキタイプへのニーズは、これまでほとんど起きたことがない


いまはだから

可能性が低いかもしれなくても

そこに向けて


推進してく人たちにとっては

正念場なんだろうな


そんなふうにおもった

今日の夢見らったけど


起きたら

この絵画が目にとまったので


シェアした


まぁ

偶然じゃないんだろう

こういうのも


近代国家の共同幻想も


そろそろ


終了してくれていいとか

オラは思ってるけど


それは

国家の消失が無秩序をうむ

なんて

考えてる人達とは


どうしたってわかりあえないわけで


こんなにベクトルの違いを再認識するのは

それだけ

過去に

利用されてきた

ナショナリズムとか

近代国家のイメージが

ピークにあるから故だけど


とりあえず


しばらくカオスなので

沐浴しながら


のんびりしてたほうがいいのら 


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