こんなこと言われるようになったのも
ふんとに後進国化したからで
お前らに言われたくない!
とは思うけど
こんなこと言われるのは嫌だなぁ
たしかに、
美醜でいえば
美麗な人が多い国とは言い難いけど
アジア人への侮蔑ともとれる
どうあっても差別や区別はなくならないし
脳筋な ロクデナシに
スポーツ馬鹿にバカにされるほど
落ちぶれちゃいないと思いたいけど
けっきょく白人至上主義をよしとしてきたツケでもある
アジア人の勤勉さや
健全性は 暴力集団のガリア人にはわかるまい
現代の
仏は他民族国家
ガリアにゲルマン、中東、北アフリカ、多くの民族が
住んでる
それをもって寛容な国とかいいながら
その実 欧州でも一二を争う排他主義な
めんどくさい人種
ようは二重性 ホンネと建前を使い分けてるっていう意味で
あまし 信用できない
フランス革命おもえば、民主もたいがいだろう
あんなのほんとは革命でもなんでもない
と言ってしまうと
自由の女神といい
そういうモチーフに象徴されるのは
不自由国家
文化はすきだけど 民族性はすきじゃないんだよね
オラはね
ローマ人は尊敬に値するけど
ガリア人は蛮族だも
無理無理
そんな話じゃなかった
多様性とかいうけど
こういう発言みると ふんとは怒りの塊なんだろうな
不幸せでお気の毒な人たちだ
二度と日本の土ふむんじゃないよ!
おとといきやがれ!
って いう気持ちにはなっただよ
いつも日本にぶつくさ言ってるのは
愛国心からなので
そういう愛情のこもった批判でもなければ
友好的でもない 人間に寛容になれるほど
おらはできたにゃいのら
たかが玉蹴りスポーツに 莫大な報酬あたえすぎなんだよ
ああいうの
ぜんぶ、民心掌握の一貫で
彼らは 無自覚なカバなので
永遠に理解しないだろうけれど
ふんとの意味では木偶の坊
傀儡でしかない
スポーツ好きな人たちに
深い思考力や創造性のないのが多いのは
反射的な脳筋だから
ようは スポーツ観戦行為は
かつての 古代の大競技場、有名な円形闘技場で繰り広げられた闘技の延長戦
殺し合いことしないだけ
永遠に無知な市民を 無知なまま居させるためん娯楽
これは必須で
暴動の抑止
だから古く国家が主体で建設したのだ
資本主義になってから
わかりにくくなったのは
スポンサーが 古代とはちがって企業だから
まぁとにかく「パンとサーカス」これに尽きるように
当時のローマ社会を揶揄した
詩人ユウェナリス(A.D.60〜128)の名言で
いまの時代にも残ってる
まさか当人は当人のことは誰も知らなくとも
言葉だけが生命をもつとは思ってもいなかっただろうけど
これのパンの部分は詳しく説明したいけど
よく誤解されてるので……
とりあえず
二つを国家から与えられて満足し、政治に無関心になったさま
現代では愚民政策の比喩としてよく用いられる
パンは、「小麦法」という食料政策のことで
ローマ人は食を国家から保証されていた
国家提供の競技や闘技とともに
その姿を揶揄ったのはユウェナリスが皮肉や(風刺作家)だったからだけど 食糧政策は、おもに父親と長男がうけられるもので
一月の配給が10モディウス、約60キロ
これだけで生きていけるわけではないけれど
国家が与えた保障は、飢え死にはさせない
という一事のため
古代ローマ時代には餓死による集団死がなかったのは
逆にいえば 褒められたことで
ヤジるような謂れはまったくない
キリスト教化されて以降の暗黒社会を思えば
どのくらい生活の安定があったかは比較にならない
そんな話じゃなかった
娯楽に関していえば
暴動や内乱を起こすようなエネルギーを娯楽で
昇華させる
それは今にも残ってるのは それだけ有用性が高いから
あんまし いじわるなこと書く気が失せてきたので
このくらいにちよう
スポーツ選手が取り沙汰され 盛り上がるように
裏で作用してるものは 政治的であるということ
いろんな意味で 複合的な理由があれど
気をそらせるには これほど 簡単なものはないから
深い思考に辿り着くと
傀儡にも奴隷にもそして 隷属とかもってのほかで
集団幻想が きかなくなってしまう
自分は 客観的で距離をおいてるという人たちは
すでに それ以下なので
そういう人たちも含めて
マスのコントロールは
古代から 最優先事項だったのら
簡単にいえば
彼らには未来をイメージしたり 構築する
そういう思考は育たない
あるものに依存して生きることが人生のすべて
そういうのがたくさんいないと
共同体の運営には 風向きひとつで
いくらでも 別のとってかわるものが
育ってしまうから
なかった 中世がいかに戦乱にあけくれたかを思えば
あながちでないのがわかるだろう
復活させた理由も
そんな デク人形に
こんなこと言われると 心外だなぁ
マジで静かな憤りとともに
日本は弱小国になったのは
なにより 国民がかんじてることでもあるだろう
こんな国に誰がした………
アジア極東の小国民だけど
日本人としての誇りはすてたくない
そんなことが言いたかったわけではなく
これから 日本は かつてとは違う次元で
やはり 国際社会で最低な
そういう思いをすることが 可能性として高いから
こんな小さな出来事のようでも
その兆し 最初の兆候として
危惧しておくべきかとおもったから
シェアしたなり
* 余談だけど
ユウェナリスが残した名言で
もっとも有名なのは
「健全な精神は、健全な肉体に宿る」
まぁ近年では
五輪ほかスポーツに結びつけられて
表現の引用をされてきたけれど
この再利用の最初は
ナチスドイツ
軍人が「憧れ」の対象になるようなPR効果を狙って用いた
ユウェナリスの嘆きの言葉であってのに
ずいぶん 歪曲されてしまったので
ふんとの原点、原典も
知らないまま つかわれてることに
ときどき、皮肉やのユウェナリスがいきてたら
なんと思うだろう……と思ったりする
原典の『風刺詩集』のなかで
表現されていたのは
「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」
という文面で
そうであればいいのに… 現実はそうでないことが多い
という意味が込められていた
ぜんぜん違うじゃん! って思うだろう
弁護士でもあったユウェナリスは かなしい現実を
目の当たりにするなかで
社会風刺したのだ
「健全な肉体は、健全な精神を生かすためのものではないか?」
とでも言いたかったのではないかとおもう
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