想像性は心の豊かさからうまれる

画像は
16世紀後半のマティアスリングと呼ばれる氷柱状のダイヤモンドの指輪(南ドイツ)



かつての装飾品は

当然ながら
現代にはない(作られない)

そして
博物館で展示されたりする
かつての装飾品を見るとき
いつも思う
なんて想像性が豊かなのだろう

ダイヤモンドのシンジケートができてから
一般に流れるものは管理され(刻印)
こうした自由度の高い宝飾品は
ほとんど見られない
インドのムガール帝国の遺産なんか
 あれをカルティエや欧州の宝飾に
どれだけ影響を与えただろうとおもうくらい
 逆立ちしても彼らには生み出せない
  造形美があり
そして おもった
  確かに ダイヤモンドの煌めき(ファイヤ)が
  そのクオリティ価値として 透明度が
という 基準を 勝手にコントロールして
  通過したものしか 出されないことで
  独占されてきた
  ありきたいのもの
  せいぜい カラットで 存在を比較
 原石の究極的にカットしたものより
  個人的には 丸みをおびて 
 つるんと 氷のような 
  口に含みたくなるような
   インドのかつての宝飾品の
  ああ この石には精霊が宿ってる
   ガラス越しにもつたわってくる
  あの存在感は
   資本主義に毒されていない時代のものまでで
  考えてみると そろそろ再考してもいい気がする
  何をうばわれてきたのかを
  創造物は ユニークであっていい
  市場価値、それも 万人のためではない 
  都合上の
  そうしたレーンだけがすべてになると退廃する
   魅力をうしなわれた既製品に 価値を見出せるほど
    空っぽな人間じゃな限り
  よろこべない
   味気ない レトルトを食べさせられるようなもの
  そろそろ
  本当に  もっと 転じていいとおもう


 

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