エリザベス女王国葬 〜The State Funeral for Her Majesty The Queen Elizabeth II〜








↑昨日のこと



エリザベス女王国葬
Liveで見てた

本当に
しんみりくるものがあって
 かつてなら
 報道されない一部始終がこうして
 見られることにも
  すごいと思っただよ

そして
 この 「God Save the King」『神よ国王を守り給え』
  多くの英連邦王国(旧イギリス帝国構成国・地域の一部)
およびイギリス王室属領で使用されている賛歌(anthem)
  英国はしばらく女王だったので『女王陛下万歳』 
 または『神よ女王を守り給え』となる
  この賛歌は
君主が男性国王(King)か女性国王(Queen)かによって、
歌詞中のKingとQueen、him/hisやherが切り替わるという
他の国歌と大きく異なる特徴を持っている
 メロディーは君主や性別での変化はない

なんかすごいよね

国王ジョージ2世在位の1745年9月に制定されて以来、
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)
および同国海外領土の事実上の国歌で

↓ これがその賛歌
https://www.youtube.com/watch?v=fw8X9tiCU1U

Live中継見ながら
 これは 本当に オラなんか生粋の純日本人だけど
 感涙…

さすが英国国葬

 尸を焼いてしまったのに 国葬やるとか
 ふざけたこと言ってる 国とは大違いだ

  この威厳もなければ
  そもそも 国の休日にもならない
 いやもっといえば 本当にやるなら 7月
  葬儀を 国儀とすべきであって

  遺体もないのに
  遺影だけで 葬儀ですって

  国葬詐欺みたいだ
  
 とかいうと
  反感をかうので
  やるなら 本葬をちゃんとしてもらいたかった

 その中途半端感に遺憾なのであって
  まったくもって 反意とかと 違う

 筋違いなことを 不満と言ってるのだ

 だから議論なんてしなくていいこtが起きてる
それが不自然なことに 憤りがあって

  死者を愚弄したり鞭打つ気は毛頭ない
 葬儀の規模うんぬんでなく
  やるなら 問答無用で
  それこそ 葬儀を取り仕切ってもらいたかった

  中曽根のを国葬もどきのでやったとき
  あれで いやな前例作ったと思ったけど
   そういうことに 苦言をいいたいだけだ
  
  本筋ってもんがあるだろうに
   この国の良識はどこへいってしまったのか

  英国国葬見ながら

  切ないおもいがした

  国家のために70年 尽くしたことは現実で
  讃えられて然るべき

  20年でもヒィヒィ言って 50年なんか
 続いてる企業すら少ないっていう 
  組織に属しても 終身雇用もなくなった
  一般民と違って
   公務に それも国家への忠誠を誓って
 70年の献身…。

  そのことに価値があった
  英王室の 威厳と権威を維持した

 まぎれもない傑物

  その偉大な魂の鎮魂は
  後にも先にも

 もうここまで人の心に訴えるものは ないかもしれないと
  おもって見てただよ










追記:

God Save the King(God Save The Queen)は


旋律自体は、フランス王国のルイ14世が痔瘻の回復を願う「神は偉大な王を守る」が起源であり
本来はフランスの歌であった
少なくとも16世紀まで遡ることが出来るものの、
あくまで君主を礼賛する歌であり国歌とは看做されていなかったため

国王ジョージ2世在位時代、
1744年にイングランド上陸に失敗した小僭王チャールズ・エドワード・ステュアートは、
1745年に側近のみを引き連れてスコットランドに上陸し
その際に
ハイランド地方の氏族は小僭王の下に結集、
政府軍をPrestonpansにおいて破り、
以後ジャコバイトはイングランドへ向けて侵攻を開始した
ジャコバイトがイングランド中部ダービーまで南下し
ロンドンを脅かす中で、トマス・アーンは君主と国家の安寧を祈って「神よ、国王陛下を護り給え」を編曲した
とされる説があるものの(実際は定かではない)


1745年9月28日、ドルリー・レーン王立劇場において
ベン・ジョンソンの喜劇『錬金術師』(The Alchemist)終演後に
公式に演奏され、以後ロンドン各地の劇場で演奏されるようになって爆発的に広まったとされている

1740年にヘンリー・ケアリーが作曲したという説もあれば、
さらに遡って16世紀の聖書の詩句、賛美歌にその起源を求める声もあり
諸説あるなか
そもそもイングランド起源ではなく、
ジャコバイトの側の歌であり、フランスから輸入されたものだという論もあり

多くの研究があるものの、明確な起源は今なお判明していない

とはいえ


歴史の長い曲のひとつのため
著名な作曲家たちによって編曲されている

ヨハン・クリスティアン・バッハ - 『6つのチェンバロ協奏曲』作品1の第6番ニ長調の最終楽章に、この曲のメロディーを変奏曲仕立てにしている。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - この曲を主題にした変奏曲(ピアノ曲)を作曲している。また、交響曲「ウェリントンの勝利」においても引用している。
フランツ・リスト - この曲を編曲している。
ニコロ・パガニーニ - この曲を主題にしたヴァイオリン独奏による変奏曲を作曲している。
クロード・ドビュッシー - 『前奏曲集 第2巻』の「ピクウィック殿をたたえて」の中で、この曲を引用している。
エドワード・エルガー - この曲を管弦楽編曲している。
ベンジャミン・ブリテン - この曲を管弦楽編曲している。
BBCプロムスで演奏されることがある。
チャールズ・アイヴズ - この曲を主題にした変奏曲(オルガン曲)を作曲している。




起源には諸説あるものの
 この曲の長い歴史を受け継いできた英国(女)王の死は
  伝統と権威の継承の
  ようは 存在としての意味の最たる体現として
  心に響くとともに
   長い歴史に幕ともなりえるのだとふと感じただよ

 

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