2013年に
選出されたローマ教皇
欧州以外からの選出は1300年ぶりだった
2週間後にはコンクラーベ…
正直
この教皇が最後くらいに思っていたので
次の教皇は
これまで以上にハードだろうと思う
宗教観が刷新されていく時代にあるので
2026〜
とくに時代性のなかで
問われていくようになるとおもう
カトリックおよび
キリスト教の信仰者は減少の一途だけれど
イスラム教徒は増え続け
あと数十年で追い越すと示唆されている
宗教構造のドラスティックな変化と
一神教の終焉というか弱体化が
今世紀の後半くらいに思っているので
宗教が絶滅するとかいうわけではないだろうけど
もともと多神教から出発し
一神教の台頭で
ずいぶん 凶悪になったのを思うと
ある種の民族信仰
現在は 総人口の5パーセント
ちなみに日本の神道はこの 民族信仰のカテゴリー
さらに無宗教は16パーセントの12億人らしいので
信仰の厚い旧世代が消失する2060以降は
現在のバランスは崩れ去ってることは確かだろう
それにしても
復活祭の翌日に旅立たれるとは…
それから表題に書いた
今日4月21日は
ローマ時代の誕生日らヾ(´︶`♡)ノ
紀元前753年の4月21日
ローマの誕生前夜
配下の羊飼いたちをつれた
ロムルスとレムス兄弟(双子)が
(彼らはトロイからの落人伝説がルーツとされる)
テヴェレの下流に 都市を建設したのだ
しかし
共同の敵を倒した後
彼らの関係は悪化した
まるで
カストルとポルックスの神話を地でいくように
双子であるがゆえに
序列を決めにくく
最初は分割統治に至り
ロムルスはパラティーノの丘に
レムスはアヴェンティーノの丘に
それぞれ拠点を 勢力基盤を置いた
しかし争いは再発し
勢力圏の境界をめぐって
越境行為を最初におこなったレムスを
ロムルスは許さず
レムスを殺してしまった
建設者 ロムルスの名を冠とした
ローマの出発点は
この事件後のことである…
ローマを建国し
初代の王になったロムルスは、
国政を三つの機関にわけた
王と元老院と市民集会、この三本の柱がこれ以降
ローマを支えていくことになる
古代
ギリシア・ローマに代表される多神教と
ユダヤ・キリスト教を典型とする一神教では
大きく異なるので
ローマ帝国が滅亡するきっかけとなった
キリスト教化を推進した
キリスト教を国教化したコンスタンティヌスのミラノ勅令(313年)
日本は八百万の神々の国なので
なんにでも神が宿るという考えで
王も神格化してきた
多神教の世界には馴染みがある
神の像だけでなく祖先の像までも刻むローマ人に
一神教の戒律は無縁(モーセの十戒)
ローマ教皇
というたびに
なんか腑に落ちない思いしかないけれど
現在のヴァチカンは
古代ローマ時代のネクロポリス(古代の死者の街)
いわゆる墓地なので
人が住むような場所ではなかった
ローマ人の共同墓地で使用され
326年コンスタンティヌス一世によって聖ペトロの墓所とされた
この地に最初の教会堂を建てられたことから
やがて教皇領へ
(752年から19世紀まで教皇領の拡大にともなって栄えるようになった)
ローマの郊外であったネクロポリス🟰現ヴァティカン
聖地とかとうてい思えないけど
信仰の恐ろしさというか
むしろ
そういう場所だからこそ
呪詛的な作用が大きい
教会は地下にカタコンベとか
あれもようは そういう装置だから
異教を弾圧しながら やってることが
根本から
カルトなんだよ…
どこが神聖なのか 邪教というほうが正しい気がしてるけど
こんなこと書くと 本当に異端として
かつてなら 処分されただろう
ローマ市内のヴァティカン市国
近代以降もイタリア政府とバチカンの間は複雑な関係であったのを
独立国家として「教皇との和解」を実現したムッソリーニの独裁体制は
より強固なものとなった
かつて
コンスタンティヌスが
キリスト教を国家の分裂からの再統一に利用したのに似ている
なんかふと
今日のローマ教皇の逝去は
キリスト教とは無関係だけど
よりによって
ローマの建国記念日か…
と思ったので書いた
かつての ネクロポリスの法王
日本にはなじみはないけれど
ゲームとか異次元ファンタジーででてくるネクロマンサー
こういうのうんだのが
どこかっていうのは
これ以上かかなくても
おわかりいただけるだろう
光つよければ闇また深し
あれが台頭するまでは
そういう方面は発達してないので
ふんとに…
文化とか芸術としての宗教は素晴らしいと思うけど
怖さとか醜さにおいても やっぱり不気味
業深き組織だとおもってる
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